日々これ呟き

刀ミュにはまり、初めて若手俳優にはまった主婦の呟き。初めてなので右往左往してます

刀ミュ つはものどもがゆめのあと を語りたい

 さて。
真剣乱舞2017で三日月宗近(まりちかさん)にどはまりした私。
川の水が海に流れるようにつはものども~を知り、円盤が買えなくて(※年末だったので財布が寂しかった)、
考察ブログを読み、予習(?)し、dアニで見れる事を知って会員になり、早速見ました。

結果、情緒不安定に陥りました

 一言でいうと、三日月の笑顔を信じれなくなった。いや、腹黒とかそういうのではなく、この人は今、心の底から笑ってるの??
大丈夫??? ってな感じです。(おかげでラブフェスとかで普通に笑う三日月を見るとほっとしていた記憶があります)
特にbeautiful lifeで髭切が「なんてCutie Cutie」って歌ってる時、三日月今剣岩融小狐丸がぎゅっぎゅしてる姿、その後カメラの隅っこで笑ってるまりちかさんは私の精神安定にかっていました……それぐらいつはものは情緒不安定にさせられた……

 一回目、つはものを見た私が理解できたことは、友(泰衡)に死んでくれ、とお願いする三日月と、
華のうてなを「いつか俺もそこにいく(壊れる)から、そこで待っててくれ」って聞こえた事、です。

 泰衡と三日月が語るシーンは本当に衝撃でした。
「平泉はどうなります」「一度は滅びる」
この辺り、きっと泰衡は自分の死を知ったんだと思うんです。だから、「今生の別れ」って三日月に挨拶したんだと思うんです
で、その後の華のうてな。……あれ、最初なんか麻璃央くんそのまんまの声だと思うんだね。すなわち「飾らない声」
最初のかすれが悲哀を表しすぎてて、本当に胸が締め付けられました。
しかも、それを何度も繰り返してきた、って所がもう……もう………!
 つはものって一度で見るものじゃないし、一度で観きれるものじゃないと思うんだけど、この舞台はそれも含みで作られてるんじゃないかって思っています。だって、ほら、二回目で泰衡と最初会うシーンで「お前にやろう」って蓮の花を渡す。あれは二度目でやっと意味を持つ。泣く。

 ここで泰衡という人を語ろうと思うのですが……
史実は置いといて、つはものの泰衡。この方はきっと、思慮深い、賢い人として描かれているのかな、と。
それが声の落ち着きから滲んでいる気がするんですね。加古臨王さん、つはもので好きになったよ…。
あと、会話ですね。上にも書きましたが、平泉が滅びると言われた時、きっと自らの未来を理解したと思うんですよね。
それでも『未来』の為に『死ぬ』事を決めた。故の「今生の別れ、さらば!」だと……。
あと、私が泰衡をそう感じるのは、三日月に「何故、操ってくれなかった!(台詞あやふやです。すみませんw;)」って言ったときに、三日月が、
「泰衡、何度目だろう、こうしてお前と蓮の花を見たのは。~中略~。お前は覚えてはいないだろうがな」
「覚えておらず、申し訳ない!」
「そういう所よっ」
って二人、笑う所。
だってさあ、三日月は何度も泰衡と出会ってるけど、泰衡は歴史の繰り返しを覚えているわけじゃないんだから、会うのは一回……と言うか、今だけじゃん? だけど、三日月に謝るんだよ?? どれだけ人がいいの???ってなるよね。
 そこで、私は泰衡が生真面目で優しい性格なんだと思いました。と言うか、不審者三日月の話を聞くってすごくない???
そして、膝を合わせて話す仲になる、三日月のコミュ力も高すぎて震える……怖い(ソコ

 話がそれました。あと、史実的なアレコレを足すと、泰衡が義経を討つまで一年半時間が経過してるんですよね。で、最初は父親の言う通り、頼朝と対抗するために土塁や空堀を築き、一緒に鎌倉を倒そうとしていたんですよね。でも、鎌倉の圧力に屈したのか義経を闇討ちする……。
これって、その歴史の隙間を妄想できちゃうから、もしかしたら三日月が説得したからでは……って考えれるから罪深い…(顔覆い
 あと、皆が泣かされた一つ、「泰衡の首桶に蓮の種が入ってたこと」。
これ、泣きますよね??? 私、隙()あれば、中尊寺に見に行こうと思う程度に大好きな事実なんですが(泰衡の首桶から見つかった蓮の種は、開花に成功して中尊寺で咲いている)、首桶に入っていた首も丁寧に手当?(沢山の切り傷とかあったらしい)されていたらしいし、これは私の中では、泰衡は認められた領主だったのかな、と。決して平泉を滅ぼした領主じゃなくて、守ろうとした人で、だからこそ、首を丁寧に扱い、蓮の種をいれたんじゃないかなって。仏教では死んだあと、極楽に行くとき、蓮の花が咲く中に生まれる、らしいので。極楽に生まれ変われるように、って願いがあったんじゃないかって。
 なんでもそうですが、歴史は視点を変えれば話は変わります。義経視点だと悲劇の将だし、私も義経の話はすきだけど、
泰衡視点では? 頼朝から平泉を守りために最初は奮闘し、でも、形勢不利となった時、義経ではなく平泉をとったのでは???ってなりました。それは私の希望的考察かもしれませんが、丁寧に葬られ蓮の種が入っていたのは事実。彼への評価はその時代の方が知っているという事かな。
 そういうことを踏まえて、三日月の「そういうところよっ」って言葉が繋がり、泰衡の性格を表したのかな、と。
だからこそ、三日月は話した。ただ、それは三日月がただ歴史をなぞる事だけ…「形として残ったものの役目」を教えただけではなく、その泰衡の最期の願いを聞くためなのかなって……。
そして、それを理解してたからこその、「…義経殿の事、どうかよろしくお願いいたす」って泰衡の台詞に繋がるんじゃないかって。
だって、その前に三日月は「義経は死なねばならん」って言ってるんだよ? 死ぬのによろしくもないだろう、って思うんだけど、
こっからがまた考察で、三日月は今までの歴史で義経が生き残った世界も話してる……つまり、泰衡は、義経が「形として遺らなかったもの」と知ったんじゃないかな、と。三日月もそれを悟られるとわかって教えた。だから、義経の事をお願いした。そして、三日月もそれを了とした。………私さあ、三日月の何が好きかって、最後、義経に「逃げろ!」って言った後、義経が「ありがとう」と礼をした時、他は頭を下げたんだけど、三日月だけは下げなかった。礼を受け取らなかった。あれって、泰衡からお願いされたから逃げる選択肢を与えた。それだけの事……って言ってるようで………。
 友達につはものの、泰衡と三日月のシーンを見せたとき、「なんか、三日月、人間っぽいね」っていたんだけど、まさにそんな感じになってきてる。どこかのシーンで「義経は人気者だな」って冗談にならない冗談を言ってたけど、後の世で泰衡の評価と義経の評価を知って…もしかして憤っての言葉なのかなって思って。なんて人間らしい感情を有しているのだろう、と。小狐丸が「刀剣男士ではない」といったとき、「ああ、そうだな」って返したのは、歴史に触れる事ではなく、生まれてくる人間じみた感情をいってるのかなーとか。
うう、話がそれていく。と言うか、色んなものが絡み合ってるから、纏まって書くのが大変……。
そんな感じで、三日月は泰衡に事実を教えた。多分、頼朝も。そして、その願いを叶える為に歴史に触れる……。

 さて、その後、今度は小狐丸・髭切へ、と三日月の心内を探る話に移り変わっていくのですが……
ここで思ったのは、あの時、あの状況、あの場所、そして小狐丸だからこそ三日月の心の内が暴かれたのかなと思います。
何より、友に死ねと告げた後。今生の別れを、願いを聞いた後。
この時が一番三日月の心が弱ってる時だったと思うんです。一番、触れられたくない時。身体を丸めて、小さくなって。顔を伏せて…。
 そこに小狐丸が現れます。多分、膝丸じゃ気づいても深く探れない、岩融や今剣は自分の事でいっぱいで三日月の異常に気付いても深く立ち入ることはせず慰める感じ、髭切は……どうかな。髭切が自身を探られるのを嫌うなら、傍にいて暴くことをせず、それこそ「主、心配しているよ?」で終わったかな。
小狐丸だからこそ、三日月の心は暴かれます。後に髭切が代弁しますが、小狐丸と刀を合わせる事自体、三日月の心を表しているんだと思うんです。
泰衡を救えない自分。自分の使命……。

「時折、お前が羨ましくなる」
この辺り、すごく語ってる気がするんですよね。羨ましいという事は、今は一途に主を想えていない事。つまり、泰衡や頼朝に心を寄せてしまっている事。それは今の状況が苦しいという事もあると思うんです。そして荒ぶる剣戟。
あれは三日月の心を素直に表しているシーンだと思う。彼自身、「言葉など偽りにすぎぬ。舞いや戦いは別」と言った通り。
あれはどうしようもない三日月の荒ぶる心そのもの。守らなければならないものはわかってるけど、ままならない自分の心。
それと同時に、あれは三日月が見せた唯一の「甘え」だとも思うんですよね。対等であるが故、全力で戦える。八つ当たりとか。いっそ、自分が折れてもよい、と考えた一瞬かもしれない。通常の三日月であれば、決してそんな事思わないと思うんだけど
だって、泰衡と約束してるんだもん。「三日月殿は三日月殿の、なすべき役目を」って。あれは三日月にとって大事な約束でもあるし、免罪符でもある。友に死ねという、免罪符。役目を果たし続ける事で、その言葉は成立する。故に三日月は役目を放棄することはあり得ない。正しく役目をこなせないのでは、何のために泰衡に死ねと言えたのか。この辺りをこう考察しているので、私の中で三日月が堕ちる事はないなって思ってます。歴史の為に死んだ友の為に。

 そして、また、話がそれる……。もう仕方ないね……( ˘ω˘ )ゴメンナサイ
そんなわけで、小狐丸と三日月は戦い……そして、髭切との話に変わっていくのですが……。
私、ずっと、髭切が「三日月にとっての主」とはどうとらえてるのかわからなかった。だって、言葉を信じぬ、と言い切った三日月(あつかし巴里の方)。一体、何があったの……??? +あつかしぱりで二人で向かう槌音を舞い踊るのに、つはものの時はいなかった→主の前で踊らない→主に自分の心を知られたくない=主に心の内を知られたくないの???何か含みがあるの……?!って不穏なやりとりだと思ってました。いや、主を裏切るとかそういうのではなく。いっそ、主が裏切ってる??的な……。
 でも、これは最近、気づいた。映画「刀剣乱舞」を見てて。何故、映画をみて気づいたかちょっと不思議で……
だけど、最近、それがわかりました。つはものや幕末は「以前の持ち主」に心寄せるお話が続いたから。だから、今の主に対するものとか思わなかったんだけど、未来を守るという事は主が産まれる未来を守るって事だから。
 三日月にとって主は唯一。守るべきもの。それは揺るがない。小狐丸にも「羨ましい」って言ってるぐらいだから。
でも、それだけではなくなった。主以外にも心を寄せてしまった。その後ろめたさ。
 そして。
美しくない自分。主を守るため、友と友を戦わせる、兄弟を争わせる、そんな醜い、手段を択ばない自分をを知られるのが嫌だったのかな、と。
 支部の方の三日月の解釈で「美しくある事が存在意義」と思うも三日月と「美しさに頓着しない」三日月と、二通りあるんですが、この三日月はもしかして、美しいものである事、に頓着する三日月なのかな、と。
 兄弟を争わせる、そんな汚い自分を知られたくない。この辺りはまだ、確証ではないのだけど、少なくとも、主一筋ではない自分の心を主に知られたくない、だから、主の前で舞踊れないし、言葉は嘘ばかり告げている……ってそんな感じなのかな。と。
 あっ、思い出した。余裕のない三日月を表してる一つとして、髭切に「お前がいない時もあったのでな」って言葉。
普段なら、あんな刺々しい言葉を使わないと思うんです、三日月。でも、取り付くえないぐらい心がゆざぶられていた。
なので、あの余裕のない台詞が出た。
そこで畳みかけられる自分の心情……。全部が全部、あたってると思わないし、仕方ない所までは見せてしまった三日月
でも、見せれない所は「それまでにしよう」と止める三日月………の時の三日月の表情が見ていて苦しかった。泣きそうなのか、憤っているのか……微笑みで誤魔化す事も出きず、ただ、無表情のようで何か語るあの表情……。
本当に、初めて見たとき、切なかった………
いつも見ている笑顔は笑顔じゃないのか……って思ったし、泰衡と笑っている、あの笑顔が本当の笑顔なんだろうな、とか……

 でも、何度も見ていくうちに、三日月の心のうちに触れて行けるような気がするんです。
彼は未来を守るため、何度も泰衡や頼朝に会いに行きます。それって、やっぱり、出会う喜びを知ってるからかな、と。
三日月はこの世界を見守る中、出会いと別れは当然あるものだとわかっている。別れる悲しみも知っているけど、出会う喜びも知っている。その中で、人の優しさに触れ、時に人の欲望に晒されてきた。……三日月はそれもひっくるめて、人が好きなんじゃないかって……。だから、別れを耐えられることが出来る………。つはものどもがゆめのあとってそういう所も描いているんじゃないかなって。

 あつかしの話ですが、清光と岩融が『矛盾』について語っていますが、三日月もまた、矛盾を抱えているのだと思います。
主を守りたい心と、未来を守る為に犠牲にしないといけないもの達への心………。その矛盾がまた、三日月を苦しめながらも、ひょっとして、その矛盾でさえ、人の心としてとらえ、愛おしいと思う気持ちを持つのかもしれない。そんな気持ちで見ていました。

 結論として、つはものどもがゆめのあと、は、何度も見てやっと『見た』事になるお話だと思いました。
いえ、一度でもいいのですが、何度も見る事前提で作られている気もしました。
あと、こっちがしんどくなるほど優しい三日月が、本当にしんどい……。心安らぐ場所作って……。

 私、元々、三日月は推しじゃなかったんですよね。ほら、ゲーム初期刀清光だし。刀ミュ最初は清光推しでしたし。
ただ、つはもので完全に三日月最推しになりました。と言うかまりちかさん最推し?
つはものの、ぞっとするほど美しい三日月が本当に好きです。よく小説で「作り物めいた美しさ」とかの表現がありますが、それを始めて目にした気分です。そして、その美しさでさえ、三日月の表現としているまりちかさんが好きです(突然の告白
いえ、何ていうかな。外見と内面の比較が分かりやすいというか……。美しければ美しい程、どろどろがわかりやすいというか……
いえ、私からしたら、三日月は心も綺麗なんだと思うんだけどね? 義経に対しての心はもにょっとしてるの、わかるから、そこを言うのかなって思うけどふじこふじこ。

 この後も三日月は一人でこの任務にあたるんだろうな、と思います。それは彼にとって悲しい事ばかりじゃないし、それこそ自分の役割と思っていそうだから。心を共にする相手はちゃんといる。それは頼朝だったり泰衡だったり……。三日月の中では完結してそうな気がします。慰めなんていらないのです。三日月は泰衡と共に歴史を守っているのだから。一人ではないんです。泰衡達は同士だから。
ただ、その同士が死ぬこと、死んでくれという事に悲しみが産まれないわけはなく。
……一人、耐える姿が、吐きそうなぐらい切ない…………。

 だんだんまとまりなく、何を書いているかわからなくなってきたぞ。
関係ないですが、こうやってたらたら書くより、同じヲタク仲間に対しては「尊い……つはもの尊い……つらいしんどい」って言った方が作品の良さを分かってくれる気もする……。いえ、どんなところとかわからないだろうけど、「いい作品」ってのは確実に伝わる気がする(ゴクリ

 私の考えや思いはこんな感じかなって思います。また、見たら変わりそうだけど
あ、そういえば、他の方の考察読んでいて、おもしろいなって思ったのが、推しが変わると考察の仕方が少し違ったりするところです。例えば、私は三日月推しで書いてますが、源氏推しの方が書かれるのを読むと少し解釈が違ったりします。まあ、視点が違うのだから当たり前のことだけど…。でも、それが私の解釈に影響を与えてくれて、他の推しの考察見るのも楽しい。

 あ、ここで髭切と三日月で思ったことも書いてしまおう。
つはものでの髭切は「受け流していくもの」。三日月は「受け入れるもの」として描かれているのかなっと。
何ていうかな。髭切は自分の大事なもの以外は流していってる気がするんだよね。拒否とかではなく。
全て受け入れて、必要なものだけ拾い上げて、そうして流していく。人の営みも歴史も、全て受け入れるけど、興味がなくてどうでもいい。通り過ぎていく感じ。お芝居で言っていたように、「今ある事が大事」な人。
かわって三日月は「受け入れるもの」。人の営みも歴史も想いも受け入れて、そうして人を愛おしく思うもの。
こう……悲劇が起きてもそれに立ち向かう人の勇気とか優しさとか、継がれていく意志とか、そんなものが好きなんじゃないかなーって。んんん、何ていうかな。例えば、よく氾濫する川があったとして、毎年犠牲者が出てた。そこで堤防を築く事にするんだけど、堤防を築くうえでも犠牲は出る。だけど、人は諦めず、犠牲の出ない方法を考え、そうして事をなしていく……そんな人の強さとか優しさが好きなんじゃないかって。彼は人の一生は勿論、時代をも見つめている。人が死ぬ悲劇を知っていても、その死んでしまった人の意志を継いで語る…或いは事をなすものがいる事も知っている。そんな人が愛おしくて、その優しさも、欲望でさえ受け入れてしまう。
似てないようで、でも、ずべてを受け入れるという事は同じ二人。だから、髭切は三日月の想いに気づくことができ、そんな三日月をいとおしく思ったんじゃないかなって。だからあの、どこまでも優しく響いた「主、心配しているよ?」の言葉は髭切の想いも含んでて、余計に優しく三日月の心を包んだのかなって。
あの時の髭切の言葉、本当に優しかった……スキ……

 結構、長く書いたけど、まだ語り足りないような…そうでもないような……
出来るだけまとめて書こうと思いましたが、色々語りたいことができて脱線しまくるしまくる……。
でも、今も自分の思ったことを書きだせてよかった。余計に三日月が好きになったともいう……( ˘ω˘ )

 そういえば、Twitterで刀ステの三日月はカンストした三日月、刀ミュの三日月はレベリング中、と言うのを見たのですが、
私もそうだなって思いました。それは未熟と言う意味ではなく、刀ミュの三日月はまだまだ成長していける存在だなって思って。
ステの方は殆ど見ていないので実はよくわからないんですが、まりちかさんはまだまだこれからも成長してくれそうで、次のお話が楽しみだと思っています。新作は出るのかな……。誰が出るんだろう……(ソワッ
 次回、三日月が出る時、どんな「役割」で出るのか、ミュの脚本どれも好きなので、本当に楽しみです。
出来れば、秋の新作に三日月でないかな~って思いつつ、今回はここまでにしようと思います。
解釈は個々で別々だと思います。押しつける気はありませんので、違うな~って所は「こういうふうに思う人もいるんだな」って思って頂ければと思います。

それではここまで読んで頂き、ありがとうございました✿